やあ。

オカルトOL日記

オカルト好きの26歳OLが日常を綴ります

死生術・死生技

こんばんは。Oたです。

 

もうすぐGW。

どこかに行く予定はありますか?

 

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昨年のGWに、わたしは青森県を観光した。

青森県に行くのは2回目だったが、2回とも三内丸山遺跡を予定に組み込んだ。

元々遺跡が好きなのもあるが、1回目に訪れた時、現地のガイドさんの解説が気に入ったというのもあった。

 

2回目もガイドによる解説ツアーに同行することにした。

解説の内容は1回目とほとんど一緒だった。

希望者が玄関ホールに集合し、5〜10人程で遺跡を廻る。

ツアーは60分程かかるので、その間小さな遠足のような雰囲気になり、客同士で妙な連帯感が生まれるのも楽しかった。

 

三内丸山遺跡縄文時代の遺跡だ。

ちなみに縄文時代は今から1万年5000年〜2300年前。

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歴史の教科書で、一度は遺跡の名前を見たことがあると思う。

作りかけの縄文土器の破片が、土からびっしり顔を出している貝塚がある。

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遺跡の中に、死者を葬ったとされる甕(かめ)があった。

三内丸山遺跡からは、たくさんの動物の骨が発掘されたのだが、甕の中に入れられたはずの人間の骨は、ひとつも見つからなかったのだという。

 

わたしはガイドの解説の中で、この話が一番好きだった。

 

人間、とりわけ日本人は死んだ後、焼かれて灰になることが多い。

灰は骨壺に入れて、墓石の下に置く(納骨)。

墓石の下のスペースがいっぱいになると、地中に埋めるらしい。

死んでもなお、場所が必要で、灰になってまで誰かに管理してもらわないといけないなんて、しんどくないですか?と思ってしまう。

 

だから、万年単位で時間はかかるかもしれないけど(理由もよく分からないけど)、死者が完全に透明になれるという事実を知って、何となく安心したのだった。

 

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きょう、谷川俊太郎の『死生観』という文章を読んだ。

いかに生きるか、だけでなくいかに死ぬか、ということも考えなければいけない、という内容だった。

もちろん、いかに生きるか、ということを考えるとき、同時に、いかに死ぬか、についても考えていることになる。

 

しかし、いくら「延命措置はとらないでほしい」とか「寝たきりになったら尊厳死を選びたい」と言っていたとしても、明日事故で急に死ぬかもしれないし、本当に寝たきりになったとしても、家族の意思で延命措置がとられるかもしれない。

 

多分、いかに死ぬか、をコントロールできる唯一の方法は自殺だ。

けどそれはいけないし、哀しい。

 

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ところで、わたしはきょう、近所の大学でとある試験を受けてきた。

答案用紙が配られてから「はじめ」の合図があるまでの10分間や「はじめ」の合図の後、一斉に名前を書き始める音など、全てが懐かしく感じられた。

 

かなり強引だが、試験は死に似ている。

どんなに準備していても、当日まで何があるかわからない。

お腹を壊すリスク。受験票を失くすリスク。鉛筆を忘れるリスク。当日、電車が遅れるリスク。ヤマが全部外れるリスク。

そんなドキドキがあるから、わたしは基本的に試験が好きだ。

勉強は苦手だけど……。

 

かなり話が逸れましたが……

みなさま、よいGWをお過ごしください。

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Oた