こんばんは。Oたです。
もうすぐGW。
どこかに行く予定はありますか?
**********
昨年のGWに、わたしは青森県を観光した。
青森県に行くのは2回目だったが、2回とも三内丸山遺跡を予定に組み込んだ。
元々遺跡が好きなのもあるが、1回目に訪れた時、現地のガイドさんの解説が気に入ったというのもあった。
2回目もガイドによる解説ツアーに同行することにした。
解説の内容は1回目とほとんど一緒だった。
希望者が玄関ホールに集合し、5〜10人程で遺跡を廻る。
ツアーは60分程かかるので、その間小さな遠足のような雰囲気になり、客同士で妙な連帯感が生まれるのも楽しかった。
ちなみに縄文時代は今から1万年5000年〜2300年前。
歴史の教科書で、一度は遺跡の名前を見たことがあると思う。
作りかけの縄文土器の破片が、土からびっしり顔を出している貝塚がある。
遺跡の中に、死者を葬ったとされる甕(かめ)があった。
三内丸山遺跡からは、たくさんの動物の骨が発掘されたのだが、甕の中に入れられたはずの人間の骨は、ひとつも見つからなかったのだという。
わたしはガイドの解説の中で、この話が一番好きだった。
人間、とりわけ日本人は死んだ後、焼かれて灰になることが多い。
灰は骨壺に入れて、墓石の下に置く(納骨)。
墓石の下のスペースがいっぱいになると、地中に埋めるらしい。
死んでもなお、場所が必要で、灰になってまで誰かに管理してもらわないといけないなんて、しんどくないですか?と思ってしまう。
だから、万年単位で時間はかかるかもしれないけど(理由もよく分からないけど)、死者が完全に透明になれるという事実を知って、何となく安心したのだった。
**********
きょう、谷川俊太郎の『死生観』という文章を読んだ。
いかに生きるか、だけでなくいかに死ぬか、ということも考えなければいけない、という内容だった。
もちろん、いかに生きるか、ということを考えるとき、同時に、いかに死ぬか、についても考えていることになる。
しかし、いくら「延命措置はとらないでほしい」とか「寝たきりになったら尊厳死を選びたい」と言っていたとしても、明日事故で急に死ぬかもしれないし、本当に寝たきりになったとしても、家族の意思で延命措置がとられるかもしれない。
多分、いかに死ぬか、をコントロールできる唯一の方法は自殺だ。
けどそれはいけないし、哀しい。
**********
ところで、わたしはきょう、近所の大学でとある試験を受けてきた。
答案用紙が配られてから「はじめ」の合図があるまでの10分間や「はじめ」の合図の後、一斉に名前を書き始める音など、全てが懐かしく感じられた。
かなり強引だが、試験は死に似ている。
どんなに準備していても、当日まで何があるかわからない。
お腹を壊すリスク。受験票を失くすリスク。鉛筆を忘れるリスク。当日、電車が遅れるリスク。ヤマが全部外れるリスク。
そんなドキドキがあるから、わたしは基本的に試験が好きだ。
勉強は苦手だけど……。
かなり話が逸れましたが……
みなさま、よいGWをお過ごしください。
Oた